9件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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安曇野市議会 2022-09-13 09月13日-03号

先ほど、8つの個人記念館があると申し上げましたが、例えばこれが他の市町村であれば、当然記念館記念室ができているような、例えば自由民権運動松沢求策でありますとか、戦時中の思想家で「暗黒日記」を書かれた清沢 冽さんでありますとか、あるいは日本国憲法の発布に当たって署名をされた植原悦二郎さんでありますとか、そういった方々、さらには、「きけわだつみのこえ」の冒頭を飾っております上原良司さんとか、そういった

安曇野市議会 2019-12-20 12月20日-06号

皆さん、よく御存じの上原良司です。 国が一市民に対して殺してこいと命じる。国が一市民に対して死んでこいと命じる。これが戦争なんです。 上原良司の最後の手記、『明日は自由主義者が一人この世から去って行きます』。その思いを伝えていくことこそ安曇野市平和教育ではないかと思います。そのためには、現在の文言では不十分だと思いますので、私は、この陳情第12号に賛成します。

安曇野市議会 2019-03-05 03月05日-04号

唯一2編が掲載された人がいます、上原良司です。 上原は、自由主義米英への戦勝、全体主義の日本の敗戦を確信していました。離れの本箱に親しい人に向けて遺書を隠していました。「特攻隊のパイロットは一器械にすぎぬ。操縦桿を操る器械、人格もなく、感情もなく、もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子にすぎぬ」。

松本市議会 2015-06-24 06月24日-04号

戦没学生たち遺稿集「きけ わだつみのこえ」の本文の最初に、特攻隊員池田出身上原良司少尉が、出撃する前夜に鹿児島県知覧飛行場で書き残した所感の一部、「ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の分子に過ぎぬ」と、特攻を冷ややかに見つめた表現からも、平和の大切さを改めて考え、多くの犠牲の上に今日の繁栄の礎があることを再認識する戦後70年でありたいと思います。 以上です。 

安曇野市議会 2013-09-04 09月04日-04号

先日の同僚議員からもお話がありました上原良司お話でございます。私の家の近く、約600メートルぐらい離れておりますけれども、私も小さいころから良司の父親から、小さいころから家に御厄介になっておりました。その家の内情については知っておりましたけれども、戦争で息子さん3人、その一番下が良司ということで、「きけわだつみのこえ」にあるように、戦争は全く悲惨でございます。やってはいけないことでございます。

安曇野市議会 2012-03-12 03月12日-04号

具体的には、一例を挙げますと、例えば故郷、地域の人物として上原良司を取り上げて「きけわだつみのこえ」を題材にして学習、それから道徳の時間等でリトアニア大使館領事としてユダヤ人のためにビザを発給し続けた杉原千畝、それから社会科の授業等々、なぜ戦争というものが起きていくのかというようなことについても総合的に社会科学習等で進める。

松本市議会 1997-03-13 03月13日-05号

特攻隊員として出撃し亡くなられた穂高出身上原良司さんの当時22歳の遺影、遺書もございました。 昨年、アトランタで開かれましたオリンピック女子マラソンで3位入賞を果たしました有森裕子さんは、ゴール後の感想で「自分自分を褒めてあげたい」と素朴でさわやかな心打つ言葉がありました。ある特攻隊員遺書の中に、「20有余年、何らご孝養できずに申しわけありません。父上様、母上様、さようなら。

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