安曇野市議会 2022-09-13 09月13日-03号
先ほど、8つの個人記念館があると申し上げましたが、例えばこれが他の市町村であれば、当然記念館、記念室ができているような、例えば自由民権運動の松沢求策でありますとか、戦時中の思想家で「暗黒日記」を書かれた清沢 冽さんでありますとか、あるいは日本国憲法の発布に当たって署名をされた植原悦二郎さんでありますとか、そういった方々、さらには、「きけわだつみのこえ」の冒頭を飾っております上原良司さんとか、そういった
先ほど、8つの個人記念館があると申し上げましたが、例えばこれが他の市町村であれば、当然記念館、記念室ができているような、例えば自由民権運動の松沢求策でありますとか、戦時中の思想家で「暗黒日記」を書かれた清沢 冽さんでありますとか、あるいは日本国憲法の発布に当たって署名をされた植原悦二郎さんでありますとか、そういった方々、さらには、「きけわだつみのこえ」の冒頭を飾っております上原良司さんとか、そういった
皆さん、よく御存じの上原良司です。 国が一市民に対して殺してこいと命じる。国が一市民に対して死んでこいと命じる。これが戦争なんです。 上原良司の最後の手記、『明日は自由主義者が一人この世から去って行きます』。その思いを伝えていくことこそ安曇野市の平和教育ではないかと思います。そのためには、現在の文言では不十分だと思いますので、私は、この陳情第12号に賛成します。
唯一2編が掲載された人がいます、上原良司です。 上原は、自由主義の米英への戦勝、全体主義の日本の敗戦を確信していました。離れの本箱に親しい人に向けて遺書を隠していました。「特攻隊のパイロットは一器械にすぎぬ。操縦桿を操る器械、人格もなく、感情もなく、もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子にすぎぬ」。
また、以前から穂高西中学校では、地元の方をお招きし、安曇野市穂高出身の特攻隊員、上原良司さんについての講演をお願いしており、戦争によってその命や未来をあきらめなければならなかった地元出身の若者の生涯を知ることを通して、戦争の悲惨さと平和のとうとさについて深く学ぶ機会となっております。
戦没学生たちの遺稿集「きけ わだつみのこえ」の本文の最初に、特攻隊員、池田町出身の上原良司少尉が、出撃する前夜に鹿児島県知覧飛行場で書き残した所感の一部、「ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の分子に過ぎぬ」と、特攻を冷ややかに見つめた表現からも、平和の大切さを改めて考え、多くの犠牲の上に今日の繁栄の礎があることを再認識する戦後70年でありたいと思います。 以上です。
先日の同僚議員からもお話がありました上原良司のお話でございます。私の家の近く、約600メートルぐらい離れておりますけれども、私も小さいころから良司の父親から、小さいころから家に御厄介になっておりました。その家の内情については知っておりましたけれども、戦争で息子さん3人、その一番下が良司ということで、「きけわだつみのこえ」にあるように、戦争は全く悲惨でございます。やってはいけないことでございます。
例えば、長野県から、知覧から池田町で生まれ、そして安曇野市で育って、陸軍航空特別攻撃特攻作戦にて戦死された上原良司、これはメジャーです。上原良司が出撃前の前日に、あすは出撃です。あすは自由主義者が1人この世から去っていきますということで書いた、これは余りにも有名な残された言葉だと思っております。
具体的には、一例を挙げますと、例えば故郷、地域の人物として上原良司を取り上げて「きけわだつみのこえ」を題材にして学習、それから道徳の時間等でリトアニア大使館領事としてユダヤ人のためにビザを発給し続けた杉原千畝、それから社会科の授業等々、なぜ戦争というものが起きていくのかというようなことについても総合的に社会科の学習等で進める。
特攻隊員として出撃し亡くなられた穂高町出身の上原良司さんの当時22歳の遺影、遺書もございました。 昨年、アトランタで開かれましたオリンピック女子マラソンで3位入賞を果たしました有森裕子さんは、ゴール後の感想で「自分で自分を褒めてあげたい」と素朴でさわやかな心打つ言葉がありました。ある特攻隊員の遺書の中に、「20有余年、何らご孝養できずに申しわけありません。父上様、母上様、さようなら。